2015年11月5日木曜日

積極的に表現する方が愛される















アサーティブとは、相手の権利を侵害せずに、自分はどうしたいのか、どう感じているのか、そして何が必要なのかを相手に誠実に、率直に、対等、自己責任で伝えることのできるコミュニケーションスキルです。

このスキルは基本的人権そのものなので、特に難しいものではありませんが、使えるようになるには、自分を尊重できなければ使えません。自分を尊重できるようになるために「自分を正しく知る」ことが重要で、知らないと、ライフスキルのどれもが使えなく危険があります。砂の上にビルは建たないからです。


自分を尊重するとは、自分を否定しない。つまり「自分なんか」というように考えないことが大事なのです。先に話したように「自分なんか」と思って見ても、それで希望まで失うわけではなく、逆に相手や第三者に依存してしまう。そして叶わなかったときには「他人のせい」にしてしまう。非常に不遜な態度なのです。

つまり気を使って遠慮するほど良い印象を与えられないという思わぬ結果になるのです。
それがわかっていないので「不遜」と思うことなく、自分では被害者だと錯覚してしまう。


その原因は、ないとは言えないまでも、また過去に被害者であった場合もあったにしても、どこかで線を引いてやり直さないと、他者を傷つけ不幸にしてしまう危険すらあるのです。

それを防ぐためにも、繰り返して言いますが、「自分を知る」ことはとても重要なのです。

自分を知る方法は、難しくありません。

自分の実現したいことを、自分を傷つけることなく、達成するチャレンジをするだけでいいのです。チャレンジする上で、まずインプットとアウトプットの両方を実行します。

まず何を実現したいのか、自分の内側(内面)にインプットします。
内面にないものをアウトプットできません。本気でないものを本気になれと言ってもできません。楽しくないものを楽しくやれと言ってもできません。自分の中にないものを自分はどうしたいのか、どう感じているのか、そして何が必要なのかを相手に誠実に、率直に、対等、自己責任で伝えることはできません。


まずは自分の脳と心にしっかりインプットしましょう。

自分越え3つのライフスキルトレーニング

2015年11月4日水曜日

自分を知って、無意識の自分を味方にする












良いストレスとは、自分の願望を達成するために必要なストレスです。
悪いストレスとは、自分の願望に関係のないストレスです。

アルツハイマーの母親をケアで味わうストレスは、
大変でも自分の願望を達成するために必要なストレスです。

いくら頑張っても報われないように思いますが、
言葉は通じなくても感情のレベルで繋がっています。

意識には意識、無意識、
さらにユングが提唱した集合的無意識(普遍的無意識)があります。

集合的無意識(普遍的無意識)の有無の根拠は、知り合いでもなんでもない精神分裂病患者たち(統合性失調症)の妄想に共通した意識を発見したことに起因しています。
さらに世界各地にある神話の類似性、言語は違っても同じことを意味することの多さなど。
この発見によって、人の無意識は繋がっていると発展していったのです。

無意識も、集合的無意識もいくら考えても到達できることのないものですが、大事なことは無意識の自分に光をあてることです。

・私なんか愛されるはずがない
・私なんかにできるはずがない

このように考えていても、その成就を願っていないわけではありません。

「死にたい」という人に限って、「死なない」と日常的に言うのと同じ感覚です。
「死にたい」という意味は「もっと楽しい暮らしがしたい」というように翻訳できます。

もし、自分の口からこぼれた言葉が「死にたい」ではなく「もっと楽しい暮らしがしたい」と言い直し、その言葉を自分の耳が聞いたらどうでしょう?

次のステップに進み、「では、どうしたらいいかな?」「なにか楽しいことはないか」とサーチしていきます。

「私なんか愛されるはずがない」ではなく「私はあの人を愛している」だったらどうでしょう?


「私なんかにできるはずがない」ではなく「私もやってみたい」だったらどうでしょう?











自分の心に正直になる。素直になれば解決することが大半なのです。

「私なんか愛されるはずがない」と言ってる限り素直になれません。自分の責任で行動しょうとしません。「私なんかにできるはずがない」も同じです。自分の心に素直にならないで、願望を達成したいとなると、自分以外の人に達成してもらわないとできません。

誰かに「依存」するということなので、その責任も他人に移ってしまいます。
これでは他者のせいにして暮らし続けるしかありません。自分が自分を生きないということです。自分を他者に預けて生きるということです。
そこで生まれてしまうのが執着心です。

執着心とは自分が役割を果たさなかったことへの未練です。だから成功の対極にある失敗が痛すぎるのです。

自分がベストを尽くしてダメだった場合には、未練は残りません。諦めがつきます。諦めがつかないのは「こだわり」を持たずにやり過ごした場合です。諦めがつかない正体は執着心です。

「私なんか愛されるはずがない」「私なんかにできるはずがない」と思いながらその成就を他者に依存した上で、「結婚してくれなかったあなたが憎い」、「それを成し遂げるようにしてくれなかったあなたに怒りを覚える」というプロセスと結果を他者の責任にした怒りが執着心なのです。

このような「在り方」は子どもにはよく見かけます。子どもの場合には親に依存しなければ生きていけない存在なので、ある一定の理解はできても、これが30歳になって、60歳になってというと事情が変わってきます。

悩み、苦しんている人のほとんどが、この状態です。

ただし、気をつけてほしいのは、自分の役割の限界です。もし相手も依存するタイプの場合、役割の境界が混乱してきます。いわゆる「共依存」の場合、どこまでが相手の責任で、ここからが自分の責任と分けにくいので、いつまでも執着してしまう危険があります。
これについては、後で説明します。

その前にアサーティブについて説明します。

アサーティブとは、アサーティブとは積極的に自己主張することですが、その意味は、自分が責任をもって、積極的に自己主張すること。つまりは実現したいことを自ら引き寄せて実現することです。「自ら引き寄せて」がアサーティブの本分なのです。

愛や平和というと、誰でもが大切なことだと認識しているので、それに逆らうことはできません。しかし愛や平和はじっとしていて実現するものではありません。みんなが同じ価値観で生きていないからです。こんな当たり前のことでさえ一筋縄ではいきません。

つまり、何をやっても難しいのです。その上で「実現したいことを自ら引き寄せる」のは大変なのです。自分が、実現したいこと、そのものになるくらいの覚悟なければできないのです。それを他者に依存して他者の責任して非難するという「在り方」が尋常ではありません。

私が言いたいのは、だからとことん「こだわり抜いた上で失敗を受け入れてもいいじゃないか」ということです。こだわり抜いたという点ですでに成功者だからです。結果ではなくプロセスです。そしてプロセスを正しくやり抜けば、100%とはいえませんが、自然と成功に辿り着くのです。


自分越え3つのライフスキルトレーニング

2015年11月2日月曜日

セルフイメージを正しく認識するスキル


ライフスキルのもっとも基礎的なスキルである自己認識スキルとは、セルフイメージを正しく認識できるスキルです。

しかし「他人のことはわかるが自分のことは分からない」という人が多いように、案外謎めいています。特に困難なことに直面したり、人間関係、特に自己開示が必要な恋愛などの場面では、混乱してしまうことが少なくありません。

また、ネガティブな体験をして育つことによって、自身のセルフイメージがネガティブなものになり、その延長にある人間関係の仕方もネガティブなものにしてしまうのは仕方がありません。そうするとますますセルフイメージの正しい認識が困難になります。

「自分に自信がない」と感じている人はたくさんいますが、それがちょっとした思い込み、たとえば一回の経験で自信を失くしていることも結構多いので、正しく自分を認識するようにしないとどんどん横道に逸れてしまい、備わっている実力を発揮できなくしてしまいます。「本当はタカなのにヒヨコだと思っているあなたへ」というタイトルの本があるように、自ら人生を辛くしてしまいます。

例えば資格獲得のプロセスには、努力があり、その先に成功と失敗という相反する結果があります。サッカーでも、ラグビーでも、野球でも、柔道でも、同じで勝利の美酒の対極には悔し涙があります。

白と黒という対極を結ぶ一本の線には「努力」とプロセスがあります。同じようなプロセスを辿っても、求めていたものとは逆の物を手にする可能性があります。
その可能性を拒んでいたら、欲しいものは手に入りません。

しかし、自分の手に入るとは思えないと感じると、最初から努力を十分にしません。しない方が自分に対する言い訳ができるからです。「努力していたら勝てたはずだが、勝ったところで大したことがないので、本気になれず努力しなかった」というふうに、言い訳できます。

しかしこれで終わればまだマシな方で、自分を守るために、さらに決定的な理由をつけて惨めな気持ちを回避しょうととます。「たかがこんなことに一生懸命になってるあいつらはバカだ。他に能力がないから、こんなことに夢中になれるんだ」というように軽蔑します。

また恋愛では、好きな女性にアプローチしなければ、交際することはできません。しかし反対に断られる可能性もあります。断られる恥ずかしさを恐れて、アプローチしないと、女性から自分にアプローチしてくれない限り、他の男性の彼女になる確率は100%になります。その不安や自分が傷つかないように「彼女も男を見る目がない」と好きなはずの女性を蔑視します。

常に「見せかけの自己肯定、他者否定(実際は自他否定)」が人間関係の仕方になります。これでは幸福な人間関係を築くことはできなくなります。

しかも実際には「いい人のときも、悪い人のときもある自分」なのに、自分を受け入れてもらうために、いつも「自分はいい人」を世間に見せなければならないので、ストレスが高まります。

いくら「自分はいい人」を演出しても、頭隠して尻尾隠せずになるので、自他否定の構えが出てしまい、思ったような結果は得られません。ますます「自分はいい人」を世間に見せようしますが、その努力が報われないので、やはり周囲の人を胸の中で蔑視します。

ストレスには良いストレスと悪いストレスがありますが、溜まるのは悪いストレスばかりです。


この宿命的な構造から抜け出すには。「絶対に手にしたくないものを積極的に受け取ってもいい」と自分を諦めるしかありません。そうすると求めるものが入りだします。

試合に負けたくないから出ないのではなく、負けることもあるのは、仕方がないことと受け入れると勝つ可能性も出てきます。失恋してもいいから彼女にアプローチすると決めて行動すれば、彼女に愛される可能性も増えます。



そうすることで、体験から得たセルフイメージが変わって、人生のシナリオがポジティブなものに変わる可能性が出てきます。

自分越え3つのライフスキルトレーニング